あれから7年、復興の様子を見続けてきた「南三陸町」に車を走らせた。
南三陸町は仙台の東北方向の三陸海岸に接し、我が家から約100kmの距離である。
あの震災後、被災地に近づくことができず、3ヵ月してようやく訪ねることができた。
その時の写真が残っている。
右側(山側)にカメラを振っても・・・
町が完全になくなっており、言葉もなかった。
そして今日、ほぼ同じ場所から撮った。
これが7年も経った、今の写真である。
コメントのしようがない。
南三陸町と言えば、決して忘れられないことがある。
「防災対策庁舎」・・・
防災無線で最後まで避難を呼びかけて、犠牲になった女子職員・・・
まさに悲劇のあの現場である。
津波の高さは「最大で6m」と放送されていた。
実際の津波は、高さ12mある屋上のさらに2m上を越したとされる。
当時、53名がこの3階建の防災庁舎の屋上に避難したが、女子職員を含めた43名が亡くなっている。
これも3ヶ月後の写真である。
工事中でこの場所には近づけないため、遠くに眺める位置に、献花台が設けられていた。
望遠レンズで引き寄せて見た。
この位置からはかろうじて見えるが、周りは土盛りが高く、町が完成したときには、遠くから見つけることは不可能だろう。
町中はまだ建物を建てる段階ではないが、一角に「さんさん商店街」が昨年3月に完成、今日は日曜日に重なったこともあり、人出が多かった。
以前、仮店舗で営業していた頃にも来たことがある。
ここの名物?は「きらきら丼」、食べないわけにはいかない。
ここ商店街からも、防災対策庁舎遺構(2031年まで宮城県が管理・保存する)は見え、献花台が置かれていた。
「14時46分」黙とう・・・
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